昨今、IT・Webの世界を最も大きく賑わせているサービスの一つに、「メタバース」があります。
メタバースとは、インターネット上に構築された3次元の「仮想空間」を意味する言葉で、その空間内におけるコミュニケーションやサービスの総称と言えます。2021年10月には、Facebook社が社名を「Meta」へと変更し、メタバース事業に注力する姿勢を鮮明にしたことは記憶にも新しいところでしょう。
国内でもそんなメタバース市場へ参入する企業が相次いでおり、製薬や製造、住宅をはじめ、さまざまな分野の企業がメタバース内でのビジネス展開を図っています。
日本を代表する総合印刷企業にして、ITやエレクトロニクスなどの総合デジタル企業でもある凸版印刷もそんな企業の一つ。
現実空間を正確に取り込んだ高い臨場感のメタバースを実現する「MiraVerse(R)(ミラバース)」、メタバース空間内でのアバターによる安全・安心なコミュニケーションを実現する「AVATECT(R)(アバテクト)」という2つのサービス基盤を軸に、セキュアかつ総合印刷企業ならではの臨場感ある仮想空間の表現技術でメタバースの世界に革命を起こそうとしています。
(「MiraVerse(R)」イメージ)
今回は、そんな同社のメタバース事業基盤の一つである「AVATECT(R)」の戦略担当である藤﨑さん、開発を担当する齋藤さんに、凸版印刷ならではのメタバースの特徴や強み、それを用いてどんなビジネスを展開しようとしているのか、といったことについて語ってもらいます。
(DXデザイン事業部 技術戦略センター 企画・開発本部 データ戦略企画室 「AVATECT(R)」戦略担当 藤﨑 千尋さん(左)/同 エンジニア 齋藤 隆介さん(右))
凸版印刷のメタバース事業をリードしていく研究開発チーム
凸版印刷におけるメタバース事業基盤「AVATECT(R)」を担う「技術戦略センター 企画・開発本部 データ戦略企画室」とは、どのような組織なのですか?
世の中の急速なデジタル化にともない、データの持ち方や流通のさせ方、加工法といった情報処理技術は急速に進化しています。また、市場もリアルとデジタルの境界を越えて、変化しながら広がっています。
そんな時代の中で、凸版印刷が未来の社会からも必要とされ続けるために、情報系の要素技術の研究開発を行うのが私たちのミッションです。
どのような技術を、ビジネスに実装させ、新たな価値の創造につなげられるか、といった凸版印刷にとってのイノベーションと、お客様の事業変革を支援する技術の研究開発テーマとして、メタバースのアバターをマネジメントするテーマに取り組んでいます。
「データ面からメタバースにアプローチしていく」という方法なんですね。
そうですね。メタバースは新しい領域であるために、様々なルールが整っていないのが現状だと言えるでしょう。
捉えどころがない状況のメタバースを、私たちは、データの集合体だと考えています。例えば、「データのありかた」について考えると、セキュリティはもちろんですが、プライバシーという論点も重要になってきます。
「データの流通」で言えば、異なるメタバース空間においては、データの規格が統一化されていない課題などに注目しています。まだ顕在化していない多くの課題を認識し、そういった部分から解決方法の具体的手段を探索していく取り組みを行っています。
具体的にはどんな場面や状況が想定されるのでしょうか。
例えば、ゲーム内で動く3Dアバターを思い浮かべてください。あるゲームで利用しているアバターを、別のゲームで利用しようとした場合、上手く動かせない、サイズが大きく異なる(巨人になってしまう)という問題が起こる場合があります。
それは、アバターに埋め込まれているボーンと呼ばれる関節のようなものの入り方や、身長等に関するデータの規格が、異なっていることが原因なのです。
もともと、単独のメタバース空間で利用することを想定した独自規格をそれぞれのメタバース空間が持っているので、データ流通を前提とした、互換性・相互性が設計されていません。
将来的に、一つのアバターが、異なるメタバース間をシームレスに行き来できるような未来を目指したときに、これらの問題は一足先に解決できる準備をしておきたいと考えています。そういった観点でメタバースの課題にアプローチしているのが、私たちの取り組みですね。
なぜ、凸版印刷がメタバースに!?
そもそも凸版印刷がメタバース事業に参入しようと思った経緯はどこにあるでしょうか。
実は弊社が、3D空間の中で、アバターを使ってリアルタイムで他の参加者とコミュニケーションを行う、3D仮想空間ビジネスに参入したのは、メタバースという言葉がまだなかった20年以上前なんですよ。
そんな前から!?
1990年代後半に「WorldChat/J(ワールドチャット ジェイ)」というコンシューマー向けの3Dによるバーチャルコミュニケーションサービスを提供していました。
1990年代後半というと、インターネットの普及開始期ですよね。そんな時代から?
そうなんです。これは3Dの仮想空間内を自分で設定したアバターが、自由に動き回ることができ、リアルタイムに他のアバターとチャットによるコミュニケーションを行えるサービスでした。現在でいえばVRやARなどの仮想空間ビジネスのはしりとなったものです。
当時はWindows95というGUI(グラフィカルユーザインターフェース)OSの登場によって、PCが家庭内に普及しはじめた時代でした。
その頃は、インターネット回線も今のように高速でなかったため、テキストベースHPが主流でしたが、文字でのコミュニケーションから発展させた、新しいコミュニケーションのあり方として、仮想空間で人と人が出会いコミュニケーションを図るのも面白いんじゃないか、ということで事業化に取り組んだと聞いています。
もともと企業としてコミュニケーションに強い関心があったと。
はい。その通りです。
先ほどお話したように、弊社は早くから仮想空間ビジネスに取り組んできた歴史があります。「WorldChat/J」は残念ながら2003年にサービス終了したのですが、以降もオンラインで人と人がリアルタイムにコミュニケーションするサービス開発に取り組んできました。例えば、買い物を体験するサービスやアバターがコンシェルジュを務めるようなサービスなどがあります。
なので、今回のテーマである「メタバース」は、弊社にとっては突然取り組み始めたテーマではなく、これまでの取り組み基盤が活かせるテーマが話題となっているという認識です。
(東京都文京区にある凸版印刷本社ビル)
メタバースに関連する豊富な技術を持っているのが凸版印刷の強み
メタバースというビジネスにおける凸版印刷ならではの「強み」はどこにあるのでしょうか。
それは、セキュリティ技術と表現技術ですね。
もともと、弊社は大蔵省・造幣局の技術者が当時の最新鋭の技術(エルヘート凸版法)を持って創業した会社なのですが、その背景からセキュリティや認証に関する様々な技術を保有しています。アバターが盗まれたり偽造されたりしないようするために仕組みづくりにはこれらの技術やノウハウを応用しています。
また、印刷技術のコアである視覚表現に関する領域でも独自の技術・ノウハウがあります。CADデータから、リアルかつ高精細な3Dデータを生み出す、独自のレンダリング技術や、さまざまな文化財を計測しデジタル空間上に再現するVR・ARの生成技術なども強みの一つです
デジタル空間に、世の中に実在しないものを質感までリアルに表現すること、文化財のような実在するものをデジタル空間に忠実に再現すること、この2つの技術は、メタバース空間を構築するうえで非常に重要な技術となっています。
それから、技術ではないのですが、今年の新入社員研修はメタバース研修を実施しました。新しい技術を社内でも取り入れ、自ら実験していく姿勢も、弊社の強みの一つだと感じています。
メタバースに関わる多彩な技術をすでにお持ちだったんですね。そうした技術を駆使し、凸版印刷でしか実現し得ないメタバース事業を展開していこうということなんですね。
そうですね。
凸版印刷の企業理念の中に「情報文化の担い手として、ふれあい豊かなくらしに貢献します」というものがあります。
これまでも印刷事業を通じて、情報・文化の発展に大きな貢献をしてきたという自負があるのですが、メタバース事業においても、凸版印刷ならではの技術やノウハウを活かし、社会的価値創造や社会的課題の解決に貢献したいと強く思っているのです。
つまり、凸版印刷のメタバース参入は、必然であったと。
はい。そういうことですね。
メタバース事業のコアとなる「MiraVerse(R)」と「AVATECT(R)」
ここで、あらためて凸版印刷のメタバース事業の核となる基盤について、より詳しい話を聞かせてください。
メタバース戦略の軸となるのは、メタバースサービスのプラットフォームである「MiraVerse(R)」と、アバター管理プラットフォームである「AVATECT(R)」の2つです。
まず、メタバース事業として、「安全性・リアリティ・信頼性」を備えたプラットフォームの提供を通じ誰しもが能力を発揮できる、格差なきスマート社会における新しい暮らしとビジネスの創出を目指しています。
アバター管理プラットフォーム「AVATECT(R)」とメタバースサービスプラットフォーム「MiraVerse(R)」を構築しているのですが、この二つが相互連携しながら、安全・信頼性とリアリティを兼ね備えたプラットフォームを目指しています。
この仕組みが実現することによって誰もが能力を発揮できる、格差のないスマート社会に向けて、生活する人にとっての新しい暮らしと企業にとってのビジネスの創出を目指す、というのが凸版印刷のメタバース戦略です。
(メタバースサービスプラットフォーム「MiraVerse(R)」とアバター管理プラットフォーム「AVATECT(R)」)
それぞれの基盤の特徴はどんなものでしょうか?
まず「MiraVerse(R)」ですが、これは現実空間の色味や質感などを本物そっくりに取り込み、高い臨場感のあるメタバース空間を簡単に作ることができるサービスプラットフォームです。
ビジネス用のメタバース空間には、様々な構成要素のデータ管理機能や改ざん等のセキュリティ対策、そしてアバターの本人認証と安全なコミュニケーションといった機能が必要となりますが、これらをワンストップで提供するプラットフォームになります。
この「MiraVerse(R)」によって現実世界同様の空間を生み出すわけですね。
そうですね。先ほどお話したように、凸版印刷が持っている表現技術をつかって、現実世界のさまざまな「モノ」を、実際の質感まで本物そっくりに、3D空間上につくることができるようになります。
そんな「視覚情報を数値化して再現する技術/数値化された情報から視覚情報を生成する技術」を生かしたプラットフォームだと言えるのではないでしょうか。
もう一つの「AVATECT(R)」についてはいかがですか?
AVATECT(R)は、自分自身の分身であるアバターが本当に本人であるかの“真正性”を証明するプラットフォームです。
次々に生まれているメタバース空間は、新しい概念の場なので、利用する上でのルールや法律などが規定されていません。無秩序な世界であるために、本人の許可のない写真をつかって勝手にアバターが生成されてしまったり、アバターのなりすましや不正利用が行われる事がメタバースが社会に普及していくにつれて、大きな問題になっていくのではないかと考えています。
そうした、まだ顕在化していない将来のリスクを一足先に見つけて、リスクを減らしていくような仕組みを検証する実証実験を行っているのですが、ここで得られた知見を使って、誰もが安心してメタバース内でコミュニケーションやビジネスを行うことができるようにしていくのが「AVATECT(R)」の重要な役割です。
ブロックチェーンの技術であるNFTや、電子透かしなどの技術を使って、アバターの唯一性や真正性を証明できる点が特徴です。
(凸版印刷のメタバースサービス連携イメージ)
アバターに関する情報管理、そしてNFT化および電子透かし技術で唯一性と真正性を証明することで誰もが安心してメタバースを利用できるようにしていくと。
そうですね。「AVATECT(R)」は、ビジネスユースを想定し電子透かしやNFTといった、実運用に耐えられる新しい技術を使って、唯一性や真正性を担保するための仕組みになっています。
企業が、リアル世界でのビジネスやお客さまとの関係の維持強化をしながら、メタバース内でもビジネスを行うことができるようになる基盤となることを目指しています。
技術的な部分における現状の課題などはありますか?
新しい技術を用いて、今ない仕組みを構築するので、関係する周辺技術についてももっと突き詰めていく必要性を感じています。
私は「AVATECT(R)」の開発エンジニアですが、「MiraVase(R)」に利用されているレンダリング技術やVR技術についても学びながら開発検討を行っています。アバターを管理する側から見えるものやその逆もあると思うので、得られた知見は、社内共有して会社全体の技術を磨いていくために役立てたいとも思います。
それから、今はメタバースに直接関係していない社内で取り組んでいる技術にも注目しています。例えば、量子コンピューティング。将来的にはもっと高度な演算処理にもとづくリアルで安全な機能実装なども取り組む未来も、可能性の一つとして想像しているところです。
凸版印刷にとってのイノベーションをリードしていくチームであるだけに、決して現状にとどまることなく、さらなる進化を追求していくということですね。
ありがとうございます。個人的には、メタバース事業ではUI/UXといったユーザーインターフェースをもっと突き詰め、これまでにないようなユーザー体験を実現していくことも重要だと感じています。
PCやスマートデバイスの画面だけではなく、3DのVRゴーグルなどのデバイス開発なども視野に入れること。さらに使用する人間にとって心地よい体験を提供できるかをテーマとした人間研究などももっと深く行っていく必要があります。様々な技術や知見を活かして、より“没入感”のある世界観と体験を実現していきたいですね。
凸版印刷が考える「メタバース」の世界とは?
次に凸版印刷におけるメタバース事業のテーマについてお聞かせください。
メタバースはインターネットの進化系だと思います。インターネットも、人と人/人と情報がつながって様々な活動をする場だと思うのですが、それが3D空間になってできることが増えていくイメージです。
メタバース事業はまだ生まれたばかりなので、新しい体験価値の創出を目指した取り組みに加えて、ルールや仕組みがないことで起こりえるリスクに対応する取り組みが事業のテーマになっているのではないかと思います。
単なる3Dの仮想空間だけ、アバターを作るだけではなく、その空間が実社会と同じように、信頼できる相手とのコミュニケーションが実現できる仕組み全体が私たちが考える安心・安全なメタバースで、スマート社会の実現の形だと思っています。
こう言ってしまうと排他的に聞こえるかもしれませんが、たとえばコンサート会場では、チケットを持っている人しか会場に入ることができませんよね。最近だと転売を防止するために入り口で身分証明書の提示を求められるケースもあります。
確かにそうですね。
これと同じように、メタバース内でビジネスを行う際には、きちんと真正性が証明されたアバターでないと、その場に参加できないような「しくみやルール」を設けることが重要になってきます。
それによってメタバースを安心・安全に利用することができ、結果的にメタバース内におけるビジネスの活性化へと結びついていくのではないでしょうか。
なるほど。リアル社会では当たり前のことをメタバース内でも当たり前にしていくことが、安心・安全なビジネスへとつながっていくんですね!
はい。そのとおりです。弊社の「MetaClone(R)(メタクローン)」のように、写真1枚からでも、本人と外見がそっくりなアバターが簡単に作ることができるようになってきています。
将来的には、身体的な特徴だけでなく、私らしい仕草や行動、パーソナリティーといった内面的な特徴でも、本人の要素としてメタバースに再現できるアセットとなっていくと予想しています。
例えば、フォトリアルな私のアバターを作成すると、私を知る友人や職場の同僚は「あ、これは藤﨑さんだ」とリアル社会と同じように個人を認識できます。
フェイク動画にように、個人が認識できるアバターが悪意を持って利用されてしまったら、個人の社会的信頼が失われてしまいます。
その上でブロックチェーン技術であるNFTを使うことで「私のアバター」がオリジナルであることを証明できるようになるので、そこに「信用」が併せ持たせることができていると言えるのではないでしょうか。
信頼の存在によって安全・安心なデジタル空間を構築し、参加する個人や企業に新たな体験や経済活動の場を提供していく、というのが私たちの目指す一つのかたちですね。
DX推進やデジタルツイン戦略など国策的なプロジェクトでプレゼンスを発揮できる存在へ
「MiraVerse(R)」および「AVATECT(R)」を軸とした凸版印刷のメタバース事業。今後の展開はどのようなものとなっていくのでしょうか。
「MiraVerse(R)」と「AVATECT(R)」は、相互に連携する仕組みなのですが、まず企業に向けた提供を始めています。さまざまな分野の企業のメタバース事業の実現を支えていく取り組みが最初の想定です。企業にとってのプラットフォームといえる状況になったタイミングで、個人・生活者に向けたビジネスの展開を想定しています。
いずれはBtoCへと発展させていくわけですね。
そうですね。もともと凸版印刷は、様々な企業と連携し、BtoBtoCのビジネスを数多手掛けてきた会社なので、BtoBのみで完結させるつもりはありません。しかし現状では、メタバースという存在が、明確な枠組みやルールを持たない“モヤモヤ”としたものなので、多くの企業と連携しながら、私たちでメタバースの理想的な形を模索していく必要があると思っています。その上で、対策できるリスクにケアをしながらいずれはBtoCへと発展させていきたいと考えています。
BtoBのビジネス展開における具体的なイメージのようなものはありますか?
「MiraVerse(R)」と「AVATECT(R)」を使って、例えばショッピングモールをはじめ、企業と一緒にビジネス活動を行うための空間をメタバース上に作っていくことが起点です。
その際にも、将来的にそのビジネスが生活者一人ひとりへとつながっていくことを意識しながら実証実験を重ねていく計画です。現在、企業に向けてメタバースショッピングモール「Metapa(R)(メタパ)」メタバース空間にリアルな買い物体験を行えるモールを提供するサービスを開始しています。
まずは企業活動のための空間をメタバース上に作り、最終的にはそれを生活者の方々が利用する未来を描いている訳ですね。
そうですね。
さらにその先に描く目標はありますか?
政府が掲げている「Society5.0」の中で描かれている、CPS(Cyber Physical system)の実現に寄与していきたいと考えています。CPS中で重要な要素となるデジタルツインの存在はメタバースと密接な関係を持っていますし、少し先の未来を想定しながら実証実験の結果を知見として整理して、国策的なデジタル化の取り組みに参加できるよう存在感を高めていきたいと思っています。
まだメタバースに対する取り組みは法整備の検討や政策課題レベルにとどまっています。
私たちとしては、自分たちが取り組んでいる研究開発を通じて得られた知見やノウハウを積極的に世の中に発信していくと同時に、こうした取り組みに前向きな企業の方と一緒に実証実験から得られる知見を活かしていきたいですね。
(後編のタイトルは、『いま、メタバースは"カオス"状態 「凸版印刷のアバター技術でメタバースに秩序をもたらします!」』。凸版印刷のアバター技術と、その技術がメタバースにどう活きるか、さらに深掘りしてお聞きします。お楽しみに!)
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