14年ぶりに日本が世界一を奪還し、侍ジャパンの功績が大きな話題を呼んだ第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。その華やかな舞台の裏には、テクノロジーを活用した高いデータ分析力による貢献がありました。
今回は2009年、2023年のWBCにおいてデータ関連スタッフとして日本チームに帯同し、トラックマン(※)の野球部門の責任者を務める星川 太輔氏にインタビューを実施。野球におけるデータ活用の実態や、スポーツアナリストという職業が生まれた経緯について話を伺いました。
星川 太輔氏
トッププレイヤーのデータと向き合う姿勢
星川さんご自身も、かつて慶應大学の野球部に所属していたと伺いました。
はい。大学の硬式野球部で、ピッチャー兼データ分析担当として活動していました。3年生で辞めてしまいましたが、1つ上の学年には高橋由伸さんがいましたね。卒業後はスポーツテックベンチャーの株式会社アソボウズ(現:データスタジアム株式会社)に入社し、10年ほど勤めました。その間に、プロやアマチュアの野球チームにデータ入力分析ソフトを販売したり、分析したデータを記事化したり、テレビ局に営業したり。いろんなことを経験しました。
まさに現在のお仕事に通じる活動をされていたのですね。
そうですね。データ分析スタッフとして2009年のWBCにも帯同しました。ただ、日本が世界一になって“やりきった”気持ちと、野球界をもっとよくするにはこのままではダメだという思いになりました。球団内部に入って貢献する選択肢もありますが、外部からアプローチするほうが自分に合っているな、と。
それには自分のビジネススキルが圧倒的に不足していると思い、1から勉強すべく、それまでとはまったく別分野で平社員から出直そうと思いました。そこで、経営者の視点でビジネスを徹底的に学べる商社に転職。ところが4、5年ほど勤務したところで「トラックマン」に出会い、改めてスポーツ×テクノロジーの面白さに魅了されてしまい。再びこの世界に戻ってきました。
野球における「テクノロジーの活用」に関して、その変遷について教えていただけますか?
僕が大学生の頃は、大きな模造紙にピッチャーの球種やコースなどを手で書いて壁に貼り付けていたような時代でした(笑)。当時、アソボウズ社でアルバイトをしていたのですが、年間何百試合ものプロ野球中継の映像を見て、プレイデータをひたすらデータベースに入力するという仕事内容で。そのアプリケーションも開発途中といった段階でしたから、まだまだ現場はテクノロジーの活用とは程遠い状況でしたね。
その数年後、2000年代初頭頃からでしょうか、まずはプロ野球界でデータの有効性に注目する動きが生まれました。プロ野球では当時、スコアラーのみなさんが、ピッチャーの投球傾向や配球、バッターの得意・不得意などを分析していました。ただ、その手法はアナログなやり方が中心でしたので、テクノロジーの力を利用してデジタル化していこうという機運が高まったのです。
なるほど、日本のプロ野球におけるデジタル化の流れはここ20年ほどの話なのですね。ちなみに海外、特にメジャーリーグ(以下、MLB)ではもっと前からITの活用が進んでいたのですか?
MLBも、日本と比べて特に先進的な取り組みをしていたわけではなかったようです。というのも、MLBは球団数が多いので、日本ほど細かく対戦相手を分析できないという問題があって。MLBでは自分たちのチームでスコアラーを雇うというよりも、全球団のデータを取得している会社から、各チームがデータを買う方法、そして試合前にビデオコーディネーターが編集した映像を見るというのが主流のようでした。
野球はMLBのルールやしきたりが少し遅れて日本に入ってくるイメージでしたので、デジタル化という点でそこまで差がなかったとは意外でした!
当時は、ですね。とはいえ、“データの活用”という点では、やはりMLBのほうが進んでいるなと感じる部分はありますよ。今は「ハード」の部分ではMLBも日本もそこまで大きな差はありませんが、「ソフト」の部分の差ですね。つまり“数字で語る”“数字で評価する”というカルチャーがもともとアメリカにはありますので、選手もファクトに基づいて仮説を立てながら自己研鑽する意識が高いように思います。
実際2023年に開催された第5回WBCにもデータアナリストとして帯同しましたが、ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手の取り組み姿勢が印象的でした。2人とも投球練習の際に、自分の投げた球を1球1球チェックしているんです。両選手とも「投げたい」理想の球があって、“自分の感覚”と“実際の投球”との差異をデータで逐一確認しているイメージです。同じ環境があるのですから、「日本の選手たちも、いい意味で真似してくれたらいいな」と思っていました。
たしかに、現状の戦力ややり方で既に世界一に輝いているわけですから、そこにさらにデータの力がプラスされれば最強ですね!
そうなんです。必ずしもすべてにおいてデータドリブンであるべきとは思いませんが、日本野球がさらに伸びるポテンシャルは大いにあると思います。ちなみに侍ジャパンのメンバーたちはダルビッシュ選手や大谷選手にかなり大きな影響を受けたようで、練習中に「データを取ってほしい」と声をかけられることが増えました。そのような取り組みが報道を通じて代表以外のプロ野球選手にも伝わり、WBC期間中に各球団関係者の方から、「選手たちがデータをより意識するようになった」と連絡をいただきました。
計測データの活用方法はチーム方針に左右される
星川さんが野球部門の責任者を務める「トラックマン」は、他の計測システムとどのような違いがありますか?
トラックマン以外にも「ホークアイ」や「ラプソード」、「ブラストモーション」など、さまざまなシステムがありますが、取得できるデータがそれぞれ少しずつ異なります。例えばブラストモーションはバットのスイング軌道を測れますが、トラックマンではまだ測れません。一方、他社ではデータ精度が低い項目がトラックマンでは高精度でデータを取得できたりします。測定項目やシステムの強みが異なるがゆえに、料金や活用範囲にも差が生まれます。
そのなかでトラックマンはどのような位置づけなのでしょうか?
金額では上から2番目ですね、プロチームは買えますけどアマチュアではちょっと高くて買えないと思います。また日本のプロ野球では、現在12球団のうち10球団が導入しています。どのシステムを使うかは各球団の判断で決められていますが、トラックマンは日本に入ってきたタイミングが比較的早く、導入ハードルも低いので球界全体に浸透しているのではないかと思います。
トラックマンデータの活用方法については、球団によって違いがあるのですか?
どの数値を重点的に見るかなど、共通する部分もあれば、異なる部分もありますね。現在は各球団に「アナリスト」と呼ばれる分析専門の職種が存在します。アナリストによってもデータの活用方法は異なりますし、現場のコーチの方針に左右される要素も大きいと思います。
トラックマンの今後の展開は?
アップデートを繰り返しながら、トラックマンで取得できる項目を増やすことが目標です。最近では野手の動きもきっちり測定できるようになりましたし、ジャイロ成分や縫い目の影響など、これまで取得できなかった数字も取れるようになってきています。また、昨今アマチュアでもトラックマンを導入するリーグが増えてきましたので、活用の幅を広げていくことも今後の課題ですね。
アメリカでは取得データの販売ビジネスが近年急激に拡大しています。日本ではまだまだ課題が多いですが、少しずつ取り組んでいけたらと思っています。それが日本のアマチュアスポーツの進化にも大きな鍵を握ると考えています。
テクノロジーがもたらした、新たな職種
トラックマンなどの測定技術の浸透が、球界にもたらした一番大きな変化は何だと思いますか?
もちろん選手の技術力向上の面で貢献した部分もたくさんありますが、それ以上に僕は「アナリスト」という職種が生まれたことがすごく大きな分岐点になったのではないかと感じています。
日本球界でアナリストという職種が生まれたのはわりと最近の話ですよね。
はい。MLBでは以前からアナリストの仕事がありましたが、私も現地で初めて彼らの仕事ぶりを見たときに、そのポジションのフラットさに驚かされました。アナリストが普通にコーチやGMに提言しますし、コーチもその意見を受け入れて柔軟に指導に活かしているんですよ。 文化の違いもあり、日本ではそこまでのポジションを築けていないケースもあるかと思いますが、それでも新たに生まれた職種という意味では、とても価値のあることですね。
そうですよね。ただ、同時にスポーツを専門とするアナリストの人材育成が必要になってくるということですよね。
この10年くらいでしょうか。スポーツテックが脚光を浴びるようになり、スポーツアナリストの仕事に興味を持つ人が増えてきました。 いくつかの大学でスポーツ×データ活用を専門とする学部や研究室ができたり、専門学校でも学科やコースが設立されるようになりました。僕自身も現在2つの専門学校のアナリスト科で教鞭をとっているのですが、やはりとても人気があります。スポーツチームで仕事をしたいと考えたときに、昔は選手か指導者、トレーナーの選択肢しかありませんでしたが、アナリストであれば自分もチャレンジできそうだと考える方々が増えてきたのでしょうね。
ちなみに野球以外のスポーツでも、アナリストの雇用が増えてきているのですか?
徐々に増えています。日本の場合、プロ野球球団のような財力や体力を持ったプロスポーツチームは少ないので、間口はアメリカに比べて狭いのは事実ですが、他競技でもニーズは急激に高まっていて、アナリストが活躍している競技・チームもたくさん生まれています。スポーツに携わりたい人たちにとっては大きなチャンスですよね。僕みたいにプレーが決して上手でない人間でも、日本代表チームの一員として名だたる選手たちと2度も世界一を経験して、感動を分かち合えるわけですから。 スポーツアナリストを目指す若い人たちにも、ぜひそのような経験を味わってもらいたい。そして、「味わえるチャンスがあるんだよ」と、伝えたいですね。
学生や若手アナリストの未来をつくりたい
今後、星川さんの立場から、どのようにスポーツテックに携わっていきたいですか?
大きく2つあります。 1つ目が、高校や大学などの学生野球に“インテリジェンス”な要素を取り入れるよう呼びかけることです。数字を解釈する方法やファクトと向き合うデータリテラシーは、社会に出てから必ず役に立つはずなので。
2つ目が、若手アナリストの育成です。例えば、僕がサポートしている立命館大学の大学院生が、アナリスト同士で情報交換を行うコミュニティサイトを立ち上げました。学生による学生のためのサービスで、学生同士が分析業務を行う上での課題などについてコミュニケーションを取っています。彼らの活動を育成の一環として支援することを通じて、若手アナリストたちが活躍できる場所を作っていきたいと考えています。
すてきな取り組みですね!
スポーツの世界に限らず僕が伝えたいのは、「前例のないことにもチャレンジしてほしい」ということです。僕が社会人になりたての頃はスポーツ界におけるデータ分析の重要性を訴えても、「何それ?」という反応が大半でした。でも、今はこうして新たな職業が生まれ、普段見ることのできない世界に飛び込むことができました。「新たな価値を世の中に提供したい」「もっと世の中をよくしていきたい」という思いがあるのであれば、エンジニアのみなさんもぜひ果敢にチャレンジしてほしいですね!
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