【制作秘話】漫画『トリリオンゲーム』は"理系"だからこそ生み出せた。原作・稲垣理一郎 × 技術監修が語る起業家&エンジニアのリアルとは?
―― 世界一のわがまま男・ハル。その相方のガク。 二人でつかめ!1,000,000,000,000ドル!!
2020年12月、小学館「ビッグコミックスペリオール」で起業家とエンジニアが主人公の漫画『トリリオンゲーム』の連載がスタートしました。
原作は『アイシールド21』(作画:村田雄介)、『Dr.STONE』(作画:Boichi)の稲垣理一郎先生、作画は『サンクチュアリ』(原作:史村翔)の池上遼一先生というレジェンドがタッグを組んだ本作品。
『スタートアップ』『プログラミング』を題材に、大成功していくストーリー展開が若手ビジネスマンや起業家を中心に話題を集めています。
主人公はコミュニケーションは天才的だが技術を持たない起業家の「ハル」とPCスキルは天才的だがコミュ力がないエンジニアの「ガク」。 彼らが手を組み、GAFAの時価総額1兆ドルを稼いでこの世のもの全てを手に入れる計画「トリリオンゲーム」を開始するところからストーリーが始まります。
もともと理系で自作ゲームのプログラミングもしていたものの、文転して漫画業界に身を投じた稲垣先生。 『トリリオンゲーム』を通して「理系はかっこいいとアピールしたい」という思いもあったとのこと。 とはいえ、起業家とエンジニアが主人公のストーリーを作るのは今回が初めて。
キャラクター設定やハッキングコンテストのシーンを考えるうえで苦労した点などの作品の裏話を、原作の稲垣先生と技術監修を担当した株式会社Flatt Security代表の井手康貴さんに話を聞きました。
野望に満ちた主人公をいつか描きたかった
稲垣先生は、『アイシールド21』や『Dr.STONE』など少年向けに大ヒット作を生み出してきましたよね。
今回「起業家」をテーマに物語を作ろうと思い至ったのにはどのような理由や経緯があったのでしょうか?
昔から起業モノみたいなのはやりたいなと思っていて。 『サンクチュアリ』が好きだったクチなので、野望のために成り上がっていく主人公にすごいビリビリきてました。 なのでお金儲けのことだけを考えて邁進する奴がいたら逆に気持ちいいんじゃないかと。
主人公のハルは最初からお金のことに全力ですよね(笑)。
とにかくビッグになってお金を儲けることを目的とする男がいたらキャラクターとして単純に面白いし、そんなやつをいつか描きたいと思っていたんです。 それは池上先生の描く男の像と凄くマッチしていたので、今回池上先生に描いていただけるのは願ったり叶ったりで、非常にありがたいです。
「お金をたくさん儲けたい!」という気持ちを恥ずかしいと思っているような現代だからこそ、ハッキリ言い切っているのは凄く良いですよね。
でも、登場人物みんなそんな奴だと感情移入しにくい。 なのでそこはダブル主人公という形にして、一人は読者がシンパシーを感じやすい振り回される側で、というようなキャラ配置の計算をしています。
確かにガクはかなりまともでですよね。 身近にいるエンジニアで何人か似た人を知ってるくらいのエンジニア像です。
ハルくんという主人公をどのように魅せていくかと考えた時に、まともな視点のガクくんを置くことで、ハルくんを立たせるというスタンスです。
ダブル主人公も『トリリオンゲーム』の特徴だと思っていましたが、感情移入のしやすさを計算して配置されていたんですね。
そうです。基本的に主人公は「憧れ型」と「感情移入型」の2パターンしかないと思っています。 ハルくんは「憧れ型」で、ガクくんは「感情移入型」。
ベンチャー企業は事業内容ではなく「人」に出資してもらう
そんなハルは、起業家の井手さんご自身と比べてどのように映っていますか。
僕自身はお金のためにやっているみたいな目的は薄いですね。 それでも、「一兆円企業を目指す」「日本を変える」という目標は最初から公言しています。 『トリリオンゲーム』の一兆ドルとは単位が違うんですが(笑)。
僕の場合は日本が世界経済の中で凋落しているという危機感が元々あって、だからものづくりで世界で戦えるようなIT企業を作りたいんです。 そして日本を変えられるくらいの影響力を持ちたいというのが起業の動機です。
井手さんも漫画の主人公みたいなこと言いますね。
僕はまだまだ全然です(笑)。 ただ、人の巻き込み方は似ていますね。 実際に僕がエンジェル投資(創業したばかりの企業に個人で出資すること)をしてもらった段階では、厳密には何をやるか決まっていない状態でした。
先に大きなビジョンを描いて、事業ではなく「人に出資してもらう」というのは、『トリリオンゲーム』のストーリーに近いかなと思っています。
本当に漫画みたいですね!
Flattさんからお聞きしたエピソードを元に作っている部分も多くありますからね(笑)。
経営者は「ピエロ」。メンバーのためにサポートに回ることが重要。
「俺みたいな、口とハッタリで世渡りするみたいな奴と。ガクお前みたいな、ちゃんと腕のある奴が両輪になるんだよ。」とハルが言うシーンや、セキュリティチャンピオンシップの予選でガクのためにあらゆる手を使ってハルがサポートに回っているシーンなども共感しました。
だいたい起業家や社長ってピエロみたいなものだと思っていて。
ピエロ!?ですか。
僕はそう思っています(笑)。 自分が口とハッタリで本当に能力のある人を集めたり、優秀な従業員のためにお金持ってきたり、そういった思考で動くこともあるので。
Flatt Securityには世界トップレベルの技術者と誇れるメンバーがいます。 僕も元々はエンジニアで、創業当初は一兆円企業のために自分が技術面も引っ張っていくぞみたいな気持ちがありました。
しかし今は自分より優秀なエンジニアしかいないから「じゃあ自分はピエロとして踊ってお金を持ってくるぞ」と言う価値観に変わりました。 まさにハルのような立ち回りですが、それはそれで楽しいですよ。
稲垣先生も「人に投資したい」と感じた
井手さんからのお話が作品に影響を与えている部分もあると思うのですが、稲垣先生自身は監修の過程で井手さんとやりとりする中で感じたことなどありますか?
お金を出したいなと思いました。
え、投資したいってことですか!?
そうですね(笑)。というのも、ストーリーを考えていて一番面白かったのが「人に対してお金を出す、出資する」というところなんです。 元々ベンチャー投資にそういった性格があることを知識としては知っていたんですが、「そんなんでいいの?」って思っていたんですよね。
僕としてはガチガチに完成されたプロダクトと事業計画を見て「それいいね」「そのアイデアは素晴らしいし成功するよ」と投資するのをイメージしてましたから。 だから最初はびっくりしたんです。
確かに驚きますよね。
でも、自分を出資する立場に置き換えてみると、確かにって思えてきたんです。 成功するかどうかは分かんないですし、「こいつだったら成功させるだろう」みたいな信頼の方が大事だなと。 井手さんと話していても、この人達だったらお金を出しても成功しそうだなって思いました。
そう思っていただいていたんですね! とてもうれしいです。
だから、序盤の展開なんて井手さん達の実体験からほぼコピーしています(笑)。 桐姫みたいな投資家は実際にはいなかったでしょうけど。
桐姫がいたらよかったんですけどね(笑)。
急に一億円出してくれる投資家ですね(笑)。
プログラミング経験があるからこそリアリティのあるエンジニアを描きたい
稲垣先生にとって、ガクのようなソフトウェアエンジニアの主人公って初めてだと思うんですが、背景や思いはあるのでしょうか。
元々僕がプログラミングをやっていたのもあり、エンジニアのキャラクターには思い入れがあります。 なので、演出のためにエンタメに出てくる嘘くさいハッカーにはしたくないというこだわりがあるんです。
ドラマや映画でもよくありますね。 フードをかぶったハッカーがエンターキーを押すと、ハッキング完了するシーン。
でもガクくんは映画みたいなスーパーハッカーじゃないんですよ。 多分、プログラマーを100人並べたらおそらく上から2番目くらいなんです。 現実でギリギリありえるラインのことは全部できちゃう、くらいの凄腕が欲しかったんですね。
100人や1000人の中でも1番のスーパーハッカーを描くって方針もあり得たと思うんですが。
そうしなかった理由は大きく分けて二つあります。 まず一つは作品のリアリティの基準が下がっちゃうことですね。 この漫画はあくまでも現実の話で、超能力はやっぱり出しちゃいけない。
もう一つ、あくまでもこれはハルくんの物語なんです。 とやかく余計なことは考えずに、目の前のことだけを考えて、最高にビッグになりたいって言っている、シンプルでトリッキーな男を描く漫画ですから。
これでもしガクくんがスーパーハッカーだと、ハルくんの成功の要因はガクくんというファンタジーキャラを捕まえたことになってしまい、コンセプトがずれてしまうんですね。
なるほど。すごく計算されたキャラ設定なんですね。
リアリティを出すには現場の凄腕の方々に聞くのが一番なので、Flatt Securityさんに世界観やセリフを作ってもらいました。
『トリリオンゲーム』で夢を持つ人が増えてくれたら嬉しい
僕らが監修に参加しているのにも原体験があって。 例えばうちのCTOの米内は、『BLOODY MONDAY(ブラッディ・マンデイ)』(原作:龍門諒・作画:恵広史)に影響されてセキュリティを学び始めているんですね。
漫画の影響力って大きいですし、エンジニアと一緒に大きな夢を目指す物語に関われるのはすごく嬉しいんです。 『トリリオンゲーム』は素晴らしい作品なので映像化もされると思うんですけど、原作や映像を見てエンジニアに興味を持つ方もいるでしょうし、ハルに惹かれてビッグになりたい方も現れると思うんですよね。
『Dr.STONE』もたくさんの子供に影響を与えていますよね、これってエンタメにしかできないことだと思うんですよ。 それを技術の観点からサポートできるのはすごく嬉しいですね。
作品を通して社会を変えようという思いは1ミリもない
稲垣先生としても、社会に影響を与えられたら嬉しいという思いはあるのでしょうか?
その質問、よく聞かれるんですけど、自分の作品で社会を変えてやろうみたいなのは1ミリもないんです。
ないんですか!?意外です。
読んでくれた人が、「あー面白かった」と言ってポイっとゴミ箱に捨てて、次の仕事に行くかって思ってくれればいいと思っているタイプなので。 ただ、エンターテイナーの矜持として、「あなたがこの作品を読む時間を最高にするためなら俺はどんな犠牲でも払う」というのはあります。
その時間にどんな楽しい要素を込めるかって考えた時に、僕の趣味は色濃く出ちゃうので、「野望を持ってガンガン起業したら社会が面白くなるぜ」とか「地味なエンジニアってかっこいいよね」ってなるのかなと。
僕はプログラミングやってた人間なんで、そこをかっこいいって思って欲しいんですよね。 とにかく、理系かっこいいんだぞっていうところをアピールしたい気持ちがすごくて。 自分がド理系の性格だったからこその僕の思いは、多分作品の味付けに出ちゃってます。
そんな熱い思いもこの『トリリオンゲーム』には、特にガクの活躍には込められているんですね。
ハッキングコンテストのシーンは作品史上一、二を争うほど苦労した
ガクがメインで活躍する回だとハッキングコンテストの予選があると思います。 リアリティの求められる場面ですが、ストーリーづくりで苦労されたところはありますか。
この回はすごく辛くて『トリリオンゲーム』史上で一、二を争うほど時間がかかった回でした。 何を取捨選択するのかがものすごく難しかったんです。
僕は大会に出たことがないので、どういう競技なのかやプレイングの流れなどの情報を集めてネームを描いたんですが、起こっていることが難解すぎてそのまま描いても漫画にならないなと。 ある程度の誇張はしますけどリアリティの基準を下げたくなくて、井手さん達に相談しました。
わかりやすさも必要で、その上でちゃんとハッキングコンテストとして成り立たないといけないという制約があったので、そこが難しかったですね。 違和感がないように、かつ技術的に正しく成立させるために、社内では監修に参加していたエンジニア全員で議論していました。 僕らが辻褄を合わせればあとは面白くなるように稲垣先生が準備してくださっていたので、技術的な部分に集中することができました。
エンジニアとのコミュニケーションで大切なのは「お互い歩み寄る」こと
古い体質の企業がどんどん新しいエンジニアの技術を取り入れて、先進的なIT企業になっていこうという、DXという流れが世界的に起きていると思います。
そこで問題になっているのが「ビジネス職とエンジニアで言葉が通じない」「コミュニケーションが難しい」という点なのですが、監修の中で意思疎通を図るために工夫されたことなどありますか?
Flatt Securityの皆さんは僕の目線に降りてきて話してくれますね。
お互いに歩み寄っているというのが一番大きいと思います。
ハルがガクのために20万円もする椅子を買ってあげたり、ビジネスサイドの人がエンジニアのことをわかっている描写がされていますよね。 これがうまくできていない企業も多いと思うんですが、Flatt Securityさんだとどんな取り組みをしていますか?
前提としてお互いの職種に敬意を払うというのはあります。 その上でエンジニアサイドからもビジネスのことを理解しなきゃということでマーケの勉強会を実施したりしますし、セキュリティの基礎講義みたいなものをエンジニアが実施してコーポレートを含めたビジネスサイドのメンバーが学習したりもします。
やっぱりお互いに歩み寄ってリスペクトを持つという気持ちがあれば上手くやっていけるのかなとは思います。 どうしても、日本の大企業だと技術職の方が評価されづらい話はあるので、どう考え方を変えていくかを大事にしています。
別にITのエンジニアに限らずですが、兵站を整えるっていうことをよく考えるようにすると、なんか全部うまくいくような感じがします。
作中にもありましたね、兵站って。
その辺をいい加減にするのは昔の精神論で動いていたような軍隊と同じだぞ、と。 それができないことはあなたの能力のなさを露呈してしまうことになるよ、と考えると上手くいく気がしています。
なんで僕がこう思うかというと、漫画界ってそこがめちゃくちゃ重視されてるんですよ。 作家の1時間に大きな価値があることを編集者が理解しているので、どれだけのコストを払ってでも時間を作ってくれる。 その結果、作品のクオリティが上がって、売れて、最終的に利益として戻ってくる。
そのようなエンジニアへのリスペクトや兵站の手配が整っていない会社が多く、課題となっています。 しかしハルがそういった動きを自然とできているのは、なぜなのでしょうか?
ハルはヒーローなんですよ。僕の考える「かっこいい男」というのが色濃く出ている。 もちろんキャラクターは池上先生の子供でもあるので、擦り合わさって出来ているんですが。
ハルくんはその場その場でしか考えていない、長期的なプランというものがない奴なんですよ。 戦術的なことがあまりに強い奴なので、戦略を考える必要がないんです。 だからこそ、エンジニアのガクに相対する時もガクのことをちゃんと見ている。one of themとして見ていない。
ハルの考え方っていうのは、相手へのリスペクトを持つビジネスマンとして大切なことですね。
結局one of themとか一山いくらのみかんとして見ないのはすごく大事だと思います。 一人一人と話せば必然的に「腰悪くしたら可哀想だな、じゃあ座布団用意してやるか」みたいになっていくと思うので、そういう感覚でハルくんは動いているんでしょうね。
ただ、ハルくんが1万人規模の企業の長とかになると一人一人と話すとかは事実上不可能になるわけで、その時にどうするかというのはそれはそれで漫画としてまた面白いかもしれない。
『トリリオンゲーム』に抜かされないように成長したい
マンガのタイトルにもある通り、ハルくんとガクくんの会社が最終的に成功することはわかっているわけですよ。 だからこの先、二人の会社が大きくなるたび、にまさに渦中にいる井手さんに全部聞かなきゃなと思っています。
ハルたちに抜かされないように、なんなら同じ100兆円目指すくらいで頑張るつもりです。 もしかしたら順番が逆になって、稲垣先生が僕の先輩起業家に取材した社員100人や1000人の時の苦労とかを作品に落とし込む時があるかもしれません。 その時は僕が『トリリオンゲーム』を読んで学んで、落とし穴を回避できたらいいなと(笑)。
ハルくんとガクくんの企業が100兆円になる頃には井手さんもなってるかなと(笑)。
今回お話を伺った井手さんが代表を務める株式会社Flatt Securityの公式Webサイトはこちら。 セキュアなシステム開発の診断・教育をサービス提供しています。
そして『トリリオンゲーム』第1集の購入は『ビッグコミックスペリオール』の公式サイトよりどうぞ。 人気沸騰中の同作に第2集発売前に追いつこう!
(c)池上遼一・稲垣理一郎/小学館
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