3Dプリンタでゼリーをデザイン?東大院生が追究する「おいしい研究」とは
みなさんは、コンピュータサイエンスの中でも、HCI(Human Computer Interaction)という分野をご存知でしょうか?
情報システムと人との関わりについて研究する分野であり、あの落合陽一氏もこのHCIの研究をされています。
HCIの※トップカンファレンスがCHI(カイ)とUIST(ウイスト)です。この2つのカンファレンスはHCIの最高峰として、研究者の注目を集めています。
※最も権威のある国際会議のこと
そんなトップカンファレンスのCHIでFlower Jelly Printerという3Dプリンタでゼリーをデザインする研究成果を発表した方がいます。
その方は宮武茉子(けまこ)さん。
ものづくりと料理をこよなく愛する、東京大学工学系研究科修士課程の1年生で、これまでに朝食ロボットやホイップクリームを絞るロボットなど、独創的なロボットをいくつも開発してきました。
宮武さんのゼリープリンタの研究はCHI2021において、People’s Choice Best Demo Honorable Mention Awardを受賞するなど、多くの反響を呼びました。
今回は食と3Dプリンターの現状、そして未来について、宮武さんにお話をお聞きします!
食べ物をプリントする「フードプリンタ」とは
3Dプリンタとフードって意外な組み合わせだなと感じました。こうした技術はどのようなもので、いつごろから存在したのでしょうか。
食べ物を3Dプリンタでプリントする「フードプリンタ」の始まりはCandy Fabなのではないでしょうか。 砂糖をレーザーで溶かして、冷えて固まったものを積み重ねていく技術で、2006年ごろに作られました。
今は改良がなされて、3Dプリンタの先を注射器に変えたものや、構造物を作る際に溶かし出すプラスチックのフィラメントを食べ物に変えたものも出てきました。 今回私が作った「Flower Jelly Printer」も、注射器の先からゼリーを出しています。
最初に開発されてから10年以上経ってるんですね。
そうですね。ただ、まだまだ広く普及しているわけではありません。 最近やっと一般人でも頑張れば手の届く価格になってきましたが、開発された当時は値段も高く、研究や一部のレストランで使われる程度でした。
なるほど。 この3Dフードプリンタ、最先端の研究はどんなものなんでしょうか?
CHI2020で発表された「FoodFab」という研究が有名です。 クッキーの内部構造を3Dプリンタでデザインして、格子状やハニカム状のクッキーを作る研究です。 この研究のなにが嬉しいかというと、内部構造や密度によって食べたときの満腹感が変わるんですよ。
将来的には、スマートウォッチから計測した運動量と主観的な空腹の度合いから内部構造を選択し、特定のカロリー内で満腹になるクッキーを自動でプリントしてくれるようになるかもしれないんです。 私もこのクッキーは食べたことないんですが、どんな食感なのか気になりますよね。
もはやSFの世界ですね…!
レーザーカッターからVR、さらには電気刺激まで!? 知られざる食への工学的アプローチとは?
こういった食べ物とエンジニアリングをかけ合わせた研究は日本で盛んなのでしょうか?
あまり知られていないのかもしれませんが、食に関して工学的なアプローチで研究しているところは日本にもいくつかあります。
まず、レーザーカッターとコンピュータによる判別技術を用いた調理の研究があります。 例えばベーコンを画像認識して、脂身と赤身の部分を識別し、脂身だけレーザーで焼くという研究なんかですね。
脂身の部分だけ焼くなんてことができるんですね! 健康管理に一役買いそうです。
VRの分野だと、東京大学の鳴海先生はVRによって食材の大きさを実際よりも大きく見せることで満腹感を制御する研究をされています。
食べた量は同じでも、VRで大きく見せると満足感が変わるんですか?
そうなんです。 ダイエットにもってこいですよね。
さらには、電気刺激や電気味覚なんて分野もあります。 CHI2020では、五味のそれぞれに対応する電解質が入ったゲルを舌に当ててコントロールすれば、味が全て表現できるという研究を、明治大学の宮下先生が発表されていました。
すごい研究がたくさんあるんですね、全然知りませんでした。
3Dプリンタをつかって3Dプリンタの部品を製作!?ハードウェアの仮説検証も個人で回せる時代に
食べ物とエンジニアリングの研究がたくさんあることはわかりましたが、宮武さんはフラワーゼリーの3DプリンタでCHIに採択されたんですよね。 フラワーゼリーってあの中に花が咲いてるゼリーですよね?
そうです!
人間の手で作るのも難しそうですね…。 これって人の手で作る場合はどうやって作るんですか?
花びら型のナイフが市販されているので、それでベースとなるゼリーに切り込みを入れ、注射器でゼリーを流し込みます。 それが固まったら完成です。
3Dプリンタで作るとしてもこのナイフは使うつもりだったので、研究を始めるにあたってとりあえずこのナイフは買いました。 しかし、次のナイフからはパラメータを微調整するために、3Dプリンタで自作していました。
3Dプリンタを使うことで、試行錯誤を高速で進められたんですね。 現代のものづくりだ…!
ただ、この方法にはひとつ欠点があったんです。 実家の3Dプリンタは比較的安価なものだったので、あまり精度の高いものが作れなかったんですよね。
ある問題を解決するために結構な時間をかけていたんですが、結局研究室の3Dプリンタで作成してみたらすぐに解決して。 今までの苦労は何だったんだと思いましたね(笑)
花びら型のナイフの薄さや切っ先の角度、注射器の太さは試行錯誤して何パターンも試されたんですか。
そうですね。まずはナイフだけ印刷して、自分が3Dプリンタ役になってゼリーを作っていました。 3Dプリンタで自動化したいところもまずは手動で試行錯誤し、「いけるな」と思ったら自動化していきました。
私は以前にも朝食を作るロボットやホイップクリームを絞るロボットを作っていたので、仮説検証のサイクルを回すことには慣れていました。
かねてからものづくりに慣れ親しんでおられたんですね! 設計の際に利用されているソフトウェアはどんなものなのでしょうか。
ソフトウェアは既存のものをベースにしました。 3DプリンタはGコードというシンプルな仕組みのコードで動くんですが、これはCADのデータとPythonを使った動作の詳細を与えるコードから生成できるんです。
とはいっても、「花」をCADデータで制作するのも大変そうですし、Pythonで動作の詳細を設定するのも簡単じゃなさそうです。
まずCADに関しては、すごく便利なプラグインがあるんです。 Grasshopperというプラグインなんですが、パラメータを操作するだけで形を変えられるんです。 例えば、花びらの枚数をスライダーに接続して"5"にすると花びらの枚数が5枚になったり、"8"にすると8枚になったりします。
ビジュアルプログラミングで3Dのオブジェクトを作るような感じです。 めちゃくちゃきれいな幾何学模様などをデザインできて奥深いんです。 ここにGrasshopperの本があるんですけど、これを見ると色々なオブジェクトが作れるんですよ。 幾何学模様をパラメータ変えるだけでデザインできて、わたしはとても好きです。
動作の詳細はどのように定義するのでしょうか?
座標が与えられているので、次の座標に到達するまでの挙動をsin・cosなどを活用して定義するだけです。 あとは3Dプリンタがコードに沿ってゼリーにナイフを入れたり、モーターでナイフを傾けたり、ナイフを前後上下左右に動かしたりしてくれます。
なるほど!3Dプリンタが動く仕組み、今まで知りませんでした…
CHIで発表した3Dプリンタは自分で改造したんですが、変わらずさきほどの仕組みで動いています。。
改造!?
モーターの位置を変えて、自分で新たにサーボモーターを取り付けて、さらに回路も交換しました。 もともと私が採用した3Dプリンタは、利用者が好き勝手に改造することを前提に作られてるんです。 ソフトもハードも回路もオープンソースになっています。
余談ですが、こうしたデータをオープンソース化した人が、私の3DプリンタをTwitterで見つけてくれて、"Great Work!"みたいなリプライが返ってきて驚きました。
人口が少ないコミュニティならではの希少な体験ですね!羨ましい。
「ゼリーの粘度」から、「写真の美しさ」まで。CHI採択のための試行錯誤とは
今回宮武さんの制作された3Dゼリープリンタは既存のフードプリンタとどう違うのでしょうか?
既存のフード3Dプリンタではゼリーをプリントできなかったんです。 普通のフード3Dプリンタだと、注射器から食べ物を少しずつ押し出して積み重ねていくか、注射器を温めて硬いものを溶かし出していくかの二択になります。
例えばチョコレートだと、温めて出したらすぐに冷えて固まるので積み重ねられます。 しかしゼリーだと、固まるまで1時間以上かかりますし、すぐ固まるような配合にしたらおいしくなくなってしまいます。 かといって固まった後に出すと透明や滑らかな質感もなくなるなど、色々難点があったんです。
そんな難しいゼリーに敢えて挑戦した背景は何だったのでしょうか。
教授に「これが3DプリンタでデザインできればCHI通るよ」と言われたからです(笑) 今までのフード3Dプリンタは、プラスチック用の3Dプリンタの下位互換のように思えてもやっとしていた、という理由もあります。 これまでの3Dプリンタにとらわれず、新しい3Dプリンタを作りたいと考え研究を始めました。
今年のCHIまでに、どのくらいの時間をかけられたのでしょうか?
去年の5月にスタートしたので、だいたい1年間くらいですね。 コロナの自粛期間は実家にいたのですが、3Dプリンタをamazonで購入して改造していました。 去年の6月くらいにはプロトタイプができていました。
先生の反応もよく、手応えを感じて、定量評価やユーザースタディなど、研究上必要なことに取り組み始めました。 そのために、ゼリーの粘度を計測して、温度がどれくらいのときに粘度がどうなっていると花びらがきれいに仕上がるのか試行錯誤を繰り返していました。
論文の提出は9月で、そこから査読への回答です。 「ここの情報がないけれど、どうなっているの」などたくさんのコメントが来ました。 説明文を査読者に送り、12月に仮採択が決まりました。
仮採択が決まった後は、原稿を修正して提出して、それが認められれば本採択になります。 本採択の後も動画提出や事務作業があり、この5月でやっと終わりました。 思ったより長かったですね。
カンファレンスを1つ通すだけでも、普通は1年がかりの作業なんですね。 フラワーゼリープリンタを作る中で一番苦労されたのはどの部分だったのでしょうか?
理想像と実際に出来上がるゼリーのギャップを埋め合わせるのが大変でした。 プロトタイプでお花を作ってみるものの「なんかかわいくない」と感じたり、母親に見せてみると「花びらのカールの向きが違う」と指摘されたり、研究室のプリンタで試作しても気泡が入り込んだりして。
たしかに、花びらに虫食いのような穴があいていますね。
きれいなんですが、虫食いがすごく気になりました。 最初と比較するとクオリティは上がっているのですが、上がるにつれてどんどん細かい部分も気になり始めたんです。 ちょっと話の本筋から逸れますが、この写真の撮り方はダメですね。
どういうところがダメなんでしょう。
まずはお皿は透明な方がゼリーの透明感を引き立ててくれると思っています。 透明愛好家さんっていうSNSで有名な方がいるんですが、その方の本を読んでいてインスピレーションを受けました。
また、砂糖をしっかり入れないと透明度が低くなるんですよ。 レシピ本や料理本を読んでいて、砂糖は甘いだけじゃなく保水性などの機能があるんだなと気づきました。 研究を始めた当初は、甘くなくてもいいだろうと思って砂糖を入れていなかったんですけど、そうするとゼリーが白っぽくなってしまったんです。
あと背景もだめですね。背景はざらざらのほうが質感が出て映えると思っています。 光の当て方も、ちゃんと逆光で当てた方が立体感も出るし透明度も高くなるし、きれいになるんですよ。
ダメ出しのオンパレードだ…めちゃくちゃこだわりがあるんですね。 でも、論文に使う写真はきれいでなくてもいいんじゃないですか?
いえいえ、私はCHIのデザイン部門にこの論文をサブミットしたので、図や写真のきれいさは重要なんです。 よく採択される、MIT(マサチューセッツ工科大学)やCMU(カーネギーメロン大学)の論文は、どれも非常にクオリティの高い写真を論文に使用されています。
ゼリーの写真だけでなく、その他の図や写真も他の研究も参考にしながらこだわっています。 特に参考にしたのは「Morphlour」という研究です。 論文はオープンアクセスになっているので、ぜひ読んでほしいです。 図や写真がめちゃくちゃ美しいです。
私の論文の、この小さい部分の拡大図はMorphlourの研究を参考にして作成しています。
論文で写真や図表のみやすさだけでなく、デザイン性が評価されることもあるんですね。
そうなんです。 ただ、私は論文をカンファレンスに通しやすくするためだけに、写真や図表のデザインにこだわっているわけではないです。 元々、きれいな研究が大好きだからこそこだわっているんです。
なるほど、研究に対する愛がこだわりを生んでいるんですね。
研究の原点はハワイ!? 宮武さんがこだわる「おいしい研究」とは
宮武さんがこの食べ物と3Dプリンタという研究分野を選ばれたのはなぜだったのでしょうか。
私が最初に書いた論文はホイップクリームの3Dプリントに関する論文でした。 でも、この論文を書いたのは、ハワイに行きたかったからなんです。
ハワイ…?
CHI2020がハワイ開催だったので、論文を通せれば発表のためにハワイに行けたんです。 人のためとかそういうことは全く考えず、ただただハワイに行きたくて(笑)。 それにトップカンファと呼ばれるものに論文を通すこともやってみたかったですし。
当時の宮武さんは学部生ですよね? 大学生らしいと思います(笑)。
いやあ、自分でも浅はかだったと思います。 今年のCHI2021でも、トップカンファに論文を通すことに主眼を置いてしまっていました。 通ったときも、M1で通せたのは結構いいんじゃないか?って思ってましたし。
普通の学生だとそう考えそうです。
実際にカンファレンスで発表してみると、この意識はめっきりかわりましたね。 まず、どれだけ自分が先輩や教授に支えてもらっていたかがわかりました。 そして、自分がまだ研究者ではなくてものづくりオタクの延長線上にいるんだと気づけました。
ものづくりオタクの延長線上、ですか。 なぜそう感じたんですか?
ファーストオーサーだったので、質疑対応でこの研究の意義や、どう他の研究につながるかを聞かれるんです。 もちろん論文に書いてあることを言えばいいんですけど、それが本当に自分で考えたことではないな、と感じて。
ちゃんと発表して、質疑応答までしてるのにストイックですね。
論文を1つ書くのにも、先輩や教授に色んな手助けをしてもらってやっと書き終えているので。 これからは、どんな研究をやったらこれからの食事の方向性を変えられるのか?のような、大きな問を考えていけるようになりたいと感じました。
すごく大きなテーマですね、ぜひ頑張っていただきたいです!
食べ物の研究だからこそ、見た目や機能性だけでなく「美味しさ」も追求
お話を伺っていてふと疑問に思ったのですが、CHIは研究者共同体の間でどのような位置づけなのでしょうか。僕の研究分野だと学会発表よりジャーナルに論文を載せる方に力を入れるなと思っていまして。
それ、実はわたしもわからなかったので先生に訊いたんですよ。情報の刷新のスピードが速いというのもありますし、デモンストレーションを見て議論したいという意図もあるみたいです。
CHIにはいくつか部門があって、ペーパーという10ページ程度の論文を提出するものだけでなく、デモ・インタラクティビティという当日実際にデモを見せるものもあります。 デモを見て論文をより良くしていこうという文化があるのかもしれません。
とはいえ、デモ重視になると一発ネタも通ってしまうので、じっくり取り組んだ成果をジャーナルとして残していこうという動きもあります。
なるほど。ありがとうございます。最後に、宮武さんは今後どういった研究をしていきたいと思っておられますか。
まず、今後は食べ物ならではのテーマ、食感や味などについて取り組んでいきたいと思っています。 普通は論文で終わりかもしれないですが、それだと読者はおいしいかどうかわからないじゃないですか。
今回の研究をやっていても、フラワーゼリーがすごくきれいなのに論文で終わってしまうのがすごく不思議に思えました。
食べ物の研究をやるなら、ちゃんとおいしいことも証明したいと思っています。 なので、研究に関わっていない人にも食べてもらえる機会を作ろうと思い、努力しています。色々展示会やイベントなどに出展していけたらいいなと考えているところです。
なるほど。今後も応援しています!今日はありがとうございました!
宮武さんのウェブサイトはこちらです。 フラワーゼリーだけでなく、今までの取り組みも掲載されています。
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